代 数 | 法名 | 示 寂 年 | 事 績 等 |
開 基 | 玄意 | 天文13(1544)年 | |
第2代 | 順玄 | 元亀3(1572)年 | |
第3代 | 道意 | 承応元(1652)年 | 本願寺第12代准如上人より、木像本尊と「勝専寺」の寺号を賜る |
第4代 | 超意 | 元禄元(1688)年 | 「聖徳太子御影」「七高僧御影」「蓮如上人御影」を賜る |
第5代 | 順玄 | 宝永3(1706)年 | 本願寺第14代寂如上人より「御開山親鸞聖人御真影」を賜る |
第6代 | 超山 | 寛保2(1742)年 | |
第7代 | 通玄 | 宝暦10(1760)年 | 宝暦6(1756)年3月、本堂再建 |
第8代 | 玄浄 | 寛政8(1796)年 | |
第9代 | 専愚 | 寛政6(1794)年 | |
第10代 | 大源 | 文化8(1811)年 | 『御絵伝』を拝受 |
第11代 | 大浄 | 文化元(1804)年 | |
第12代 | 大了 | 文化14(1817)年 | |
第13代 | 教照 | 文久2(1862)年 | |
第14代 | 教随 | 文久3(1863)年 | ※この頃、勝専寺は、住職の早逝、後継住職難が続いたことにより、次第に寺務荒廃へと陥った |
第15代 | 響流 | 大正2(1913)年 | 飛騨国吉城郡円光寺住職円山浄誓師の次男として誕生。元治元(1864)年35歳のときに勝専寺に入寺し、荒廃著しい勝専寺を再建した。勝専寺の中興の恩師。明治15(1882)年に蓮如上人400回遠忌法要を勤修 |
第16代 | 玄超 | 昭和20(1945)年 | 勝専寺仏教青年会「両全会」や「両全日曜学校」を創設。また、講衆・尼講の組織整備などをおこう |
第17代 | 郷音 | 平成3(1991)年 | 戦争のために供出させられた梵鐘の再鋳をはじめ、本堂大屋根の葺き替え、両全会館の新築、親鸞聖人銅像の建立など、戦後の勝専寺復興に尽力する。また、両全仏教婦人会や大乗会(勝専寺仏教壮年会)を結成し、教化活動を充実させた。昭和35(1960)年に親鸞聖人700回大遠忌法要を勤修 |
第18代 | 玄記 | 前住職 | 両全日曜学校の復興をはじめ、ボーイスカウト・ガールスカウト活動を行い、青少年の教化活動に取り組む。平成9年に蓮如上人500回遠忌法要を勤修。本堂内陣の修復をはじめ、本堂・書院・両全会館など、勝専寺の建物のほとんどの大修復を行う。 |
第19代 | 弘記 | 現住職 | 平成24(2012)年に親鸞聖人750回大遠忌法要を勤修 |